覚えがき

備忘録のような

まっすぐ生きてきれいに死ぬ

 

ちょっと最低な気分なので、文章を書く。

 

 

 

 

SNSやってると自分の知らない知識が得られるのですごく楽しい。

楽しいが、感情ばかりで埋め尽くされることも止むなし。

同じ趣向の人で繋がって、緩やかなカーブが続いていくと気付いた時には全く知らないところを歩いている。

今はなんとなく違うところに来てしまった。

結局、私には私しか居ないと思うことにした。

 

他人を嫌うことはないが、違和感のある場に居続けると不快感に変わる。

基本的に私の負の感情は怒りに転換されるので、そこまで来ると気分転換が難しい。

ので、犬を撫でる。

 

 

 

 

 

 

 

毎年、毎日人は死ぬけど、最近の訃報を受けて、自分の気分が底なこともあり、いろいろ考えた。

 

これは単なる思い込みで理想論からくる考え方。

最近、何かで「人のあらゆる死は全て寿命だ」というのを見た。

真意はそう思うことで、死の悲しみややり場のなさにケリをつけたいのだろう。

それでも、ミュージシャンや俳優などを対象にした時、特に早死にした人は「平均以上に何かをしている人」のように思えて私は納得した。

 

どこかでバランスを取っているから私たちは今生きれている というのは少なからずある。

死ぬことが解放や幸せだと感じるためには、生きるうちにそれに釣り合うだけの行いをしなければならない。

 

早く死にたければ、結局、努力するしかないのかもしれない。

 

 

 

これは余談だけど、私の尊敬する人も「人の死は寿命だ」と言っていた。

彼はアングラの世代の人で、あらゆる芸術、特にフランス文学に精通している人だった。

周りの人間の死は何度も経験しているらしかった。

彼は写真についての講義の中で「死んだ人のその後の姿は全く想像できない。だから彼らはみんな寿命で死んだんだ」と写真を見ながら言っていた。

生きている人間の姿が映った写真からはその後の姿が浮かぶが、確かに死んでしまった人のその後は浮かばない。

その話を聞いた時にも思ったけど、これは思い込みなのか、それとも何か科学的な理由があったりするんだろうか。

 

私はもっと毎日確信を持って生きたいと思うよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

じゃあ夜が終わらないうちに寝ます。

 

おわり